【 日々の感謝 】の記事タイトル一覧
【 日々の感謝 】の記事タイトル一覧 を、下記のブログにて、まとめさせて頂きました。
【 日々の感謝 】・記事タイトル一覧 (グーブログ)
【 日々の感謝 】 (ウェブリー)
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【 日々の感謝 】 (ヤフーブログ)
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。誠に有難うございました。
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道は、御霊(みち)なり
「教育とは、魂を磨くこと」・天職・切磋琢磨
四十八(よとや)の神様・「言霊・音霊・色霊・数霊」
宇佐(八幡)神宮の謎
石舞台は、蘇我馬子の墓ではない
卑弥呼(ひみこ)とは、「日の御子」
ムー大陸の一部が、日本列島にある
『夫や息子に慈しみを持て』
『女は、女の本分・役割に徹してこそ価値がある』
やく年は、厄ではなく新たな役目を頂く年
結納(ゆいのう)には、大事な意味がある
結びとは、「産霊(むすび)」のこと
自殺は、絶対してはいけない
誕生日の意味
守護神・守護霊は、誰にも付いて下さる
祖神(そしん)を通じて、神様の世界に繋がる
無神論者ほど、いざとなった時、取り乱す
神様は、政治家には特にお厳しい・3
神様は、政治家には特にお厳しい・2
神様は、政治家には特にお厳しい・1
「祭政一致」と「政教分離」
「祭政一致」が、本来の政治
『祭事を知らぬ者が政治(まつりごと)を行う故、世の中が狂う』
日本の民主主義は、神代の時代から
『仕事とは、われに仕える事』
お初穂(はつほ)
大宇宙創造の大神様が、『皇室なき地球は不要、皇室なき人類は不要』と仰られています限り、それぞれの人が、自ら求め、中心につながり、大自然の法則に添った日々を過ごさなければ、世界に調和ある秩序と平和は訪れないのではないでしょうか。
当たり前のことを、感謝を持って日々積み重ねていくことは、内なる力を蓄えることにつながります。
それは自ずと外に顕れ、周囲にも影響を与えるものです。
今こそすべてという気持ちで、『神訓』をはじめ、「清明正直」に日常生活を喜びを持って過ごされますよう、心よりお祈り申し上げます。
藤原大士先生の『蘇れ日本人の会 大志塾 藤原大士の一日一言』のブログです。
また、内容は同じですが【 日々の感謝 】のブログを書かせて頂いております。
このブログは、しばらくお休みさせて頂きたいと存じます。
これまでお読み頂き、拍手を頂きました皆様には、厚く御礼を申し上げます。
誠に誠に有難うございました。
21世紀になり、地球の存続すら危なくなっている今、人類は、もっと本質的な真実を求めて生きることが 必要な時ではないでしょうか。
幸い、日本には、古代より神の国として、大宇宙の真実が連綿と引き継がれてきています。
神々様は、大自然の中にいらっしゃいます。
自然の中に、神様を感ずることが出来る感性を、日本人は心の奥底に持っています。
人類の歴史は、私達が思っているよりも遥かに古いものだと言われてい
ます。
地球の天地創造から四十六億年にして、 今、大変革の時を迎えています。
霊の元つ国(ひのもとつくに)の人・日本人は、人類のすべてに、神様のこと、今度の大変革のことを伝え行く役目を頂いております。
大神様より、次のようなお伝えがございます。
『われが、地球(ちだま)造りしより四十六億年にして、今、大建替え、
大変革をなさんとする折、その時に生れ合わせ、われらが神業(しん
ぎょう)に奉仕なし得ることこそ、天命であり光栄なることぞ。
これが、戦国や江戸、あるいは明治と、他の時代に巡り合せたので
は、成し得ぬことぞ。
先にも申した通り、戦国には戦国の、江戸には江戸の生きざまがある。
その時代時代に生きるも、その者の天命じゃ。
要は、その者が、いかなる心掛けにてそれぞれの時代を生き抜くかじゃ。
しかし、今の世に生まれ合わせし者は、そのこと自体、既に幸せ者ぞ。
まずは、われらが計りを推し進め、 世の人々に伝え知らしめる神徳者現れよ・・・
われ自ら出現し、地上天国を造り成さん』
日本に生まれた素晴しさを自覚し、 人として本来あるべき姿を見直し、日本、そして世界に、それを伝え、 輝かしい未来をもたらすのが、この混乱の世界に生れた私達日本人の使命なのです。
21世紀の大変革の時に、日本人として生きているということ自体が、
それぞれの日本人に与えられた天命なのです。
伏流水が何年も何十年も地下を流れて、 清らかな水が地上にこんこん
と湧き出る時があるように、、日本人は、本来素晴しい民族ですから、目
覚めれば、思ったより早く蘇ることが出来ます。
一人一人が、 その気になり、気力を充満させ、底力を発揮するかどうか
にかかっています。
真実を見極める目を養い、気が付いた人から、勇気を持って動き始め
ましょう。
やれば出来るのです。
諦めない限り、必ず開かれる扉はあります。
今こそ、その役目を果たさせて頂くべき時だと思われます。
(参照:「神から人類への啓示」 藤原大士著)
人生は、波間に漂う船のようなものです。
小舟に終わり、人生の荒波に翻弄されるか、大船になって大海に躍り出
るかは、その人の器と努力のいかんに関わります。
心に正しき羅針盤を抱き、真っ直ぐに目的地に向かうか、否かを、神様
はご覧になっておられます。
いかに波が大きくとも、乗り越えるべきなのです。
神様は、不可能の試しは行われません。
すべて可能なればこそ、鍛えられるのです。
『成さば成る 成さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 成さぬなりけり』
です。
ですから、何事も積極的に推し進めるべきです。
停滞は、暗い心となり、低い心の持ち主と心が通い、同病相憐れむよう
になります。
更に、低い御霊と波長が合って、余計に重くのしかかられるようになりま
す。
停船に貝がつき、海藻が生えるようなものです。
舵を取る船に海藻が絡んでは、行く先の方向もままならぬことになりま
す。
自らを大船として波を蹴立てて進み行くのです。
そうすれば、余計な貝や海藻などは付きません。
何事も寄せ付けず、自ら切り開いた波頭は、広く大きく跡が残るものです。
それがその人の実力であり、影響力なのです。
いかに大きな船でも、止まったりゆっくりとした船足では、大きな力は出
せません。
全速力で進む時、神様は強き光と力を授けて下さり、大神様の許に導いて下さるのです。
人生の波風、大神様の奇跡に出会えば、ご神縁の時と思うべきで
す。
殊に、奇跡を頂かれたお方は、心より大神様に感謝を申し上げたいもの
です。
感謝の念を持って、大神様と心を繋がせて頂くことです。
通り一遍のものでは、大神様には繋がりません。
感謝は、真心を持ってさせて頂きたいと思います。
(参照:「神から人類への啓示」 藤原大士著)
自然環境を守ろうと言う動きがありますが、密林の伐採、環境破壊には目を覆いたくなるものがあります。
自然環境のメカニズムは、 空気の汚れを風によって吹き払って頂き、物の汚れを川や海の流れによって押し流して頂き、 また、波によって洗い流して頂いています。
「大祓祝詞」をよく見ますと、このことが書かれています。
このように、神々様がいかにご苦心なさられて、 私達人間の罪(つみ)・科(とが)・穢(けがれ)を祓って下さっていますことでしょう。
私が、私がと、我欲ばかり出していますと、自分の心も世の中も濁りば
かり増えてしまいます。
感謝の心を持てば、お互いに心が和み、争いごともなくなるでしょう。
樹木は、昼と夜でその作用も異なります。
昼は酸素、夜は炭酸ガスを出して、空気のバランスをとっているのです。
ですから、樹木を次々と勝手に伐採したら、空気中の要素のバランスが
保たれなくなります。
おまけに排気ガスとして、窒素や二酸化炭素などを吐き出しています。
私達は、際限なく環境を破壊し続けているように思います。
便利さを追い求めてきた結果、
本当に大事なものを失ってしまっているのではないでしょうか。
何事も人類の平和と幸福のためになさられなければ、地球の秩序も乱
れてしまっています。
神々様が祓って下さっていますお陰で、私達は生かさせて頂いていま
す。
神々様が放置されれば、私達はたちどころに死滅してしまうのです。
私達は、生かされていることに気付かせて頂き、
もっともっと自然環境を大事にして、
神々様に感謝の気持ちを捧げさせて頂くべきではないでしょうか。
(参照:藤原大士 著作より)
日常生活において、次のようなことをされると良いと思います。
【朝日浴】
毎朝9時までに、朝日を浴びます。太陽の位置を確認したら、目を閉じ、
手足を広げ、60兆の細胞まで通すような気持ちで芯まで浴びます。
朝日を拝むということは、他にも大事な意味がありますが、自分の体内
時計を月の二十五時間から、太陽の巡りの二十四時間に自動的に調節
してくださっているということです。
【挨拶】
朝朝起きたら、まず家族の間で、お一人の時でも、「おはようございま
す」と元気よく挨拶を取り交わします。
また、「こんにちは」「こんばんは」「ありがとうございました」「すみま
せん」「申し訳ございません」「いただきます」「ごちそうさまでした」と
いう挨拶も、人間関係を円滑にする為にも大事です。
「お元気ですか」という挨拶も、お互いに、「元の気(人の世に生を受け
る時に授かったもの)がありますか」というお互いに確認し合う挨拶なの
で、とても大事なものです。
【お風呂の禊】
お湯は、「火」と「水」の接点で、神様ですから、お風呂で、湯船に入る
ことは、神様の懐に抱かれることになります。
最初の掛け湯の時、「身・心・霊共に清まれ!」と言って、お湯を右肩、
左肩と何度も掛けて、お湯の禊をされるとよいのです。
【夜10時に休む】
夜10時から10時半の間は、その日の疲れを取って頂きますのに大切な時間
になっておりますので、10時までに休むと良いのです。
一晩寝れば、疲れが取れるというのも、大自然のエネルギーを受け入
れて、回復の気を受けているからです。
【お供養】
今、自分が名乗っている姓は、どこから来ているのでしょうか。
家系なくして、自分が生れるでしょうか。
すべて父母を通じ、父母もまたその父母を通じて、この世に生まれ出た
のでありましょう。
家系とは、自らなる家筋のことです。
自分の肉体と自分の心、自分の魂のすべてを与え、伝えてくださったも
のです。 感謝以外の何物がありましょう。
このようにことにもよく思いをいたし、 日々のご先祖様のお供養を怠っ
てはいないか、まこと真心にてのお供養をさせて頂いているか、よく省
みることが大切です。
【年中行事】
日本には、四季折々の年中行事が人生の節目として執り行われていま
す。
初詣、鏡開き、立春祭、紀元節祭、雛祭、春・秋のお彼岸、端午の
節句、水無月・師走の大祓い祭、七夕、お盆、重陽の節句、明治節
祭、二十四節気等があります。
人の誕生等に関わるものには、
腹帯、お七夜、初宮詣、お色直し、お食い初め、誕生日、七五三、入学式、卒業式、成人式、結納、結婚式等があります。
日本のしきたりは、単なる儀式ではなく、儀式は、すべて神様に対して行なうものであり、 神様へのご報告、ご祈願です。
御神縁を大切にして、感謝の気持ちで過ごすことが、子供さんの心に光を灯して頂き、 将来、脇道や暗闇に迷うことのないように、大きなご守護につながります。
もう一度、見直されると良いと思います。
(参照:藤原大士 著作より)
古来、日本人は、
「人はどこから来て、どこへ還るのか」
「何のために、この世に生を受けるのか」
「亡くなってからも、肉体は滅びても、精神、魂は
永遠にあの世で生き続ける」
ということを感性として持っていました。
ですから、「お天道様が見ておられる」ということで、
「天に恥じない生き方」をしようという徳を実践してきました。
お天道様とは、太陽を中心とした天空にあるすべてのもののことで、
すべてをご覧になっておられます。
人類は、神様の御霊を頂いていますので、
「神の子」として、「万物の霊長」であると言われています。
人の世の生きざま、人の世の過ごし方は、
人としての道に叶うように御霊を磨くことにあります。
この世では、財産があっても心が貧しい人や、
地位が低いけれども心が豊かな人等、
必ずしも地位と御霊は一致していません。
あの世では、この世での地位や財産は、一切関係ありません。
「あの世の図」に書きましたように、
ご自分の御霊の高さ、低さに相応しい階層に住むことになります。
行き先は、自ら選び、
現世での行いと魂の磨きいかんによって決まります。
自分中心でなく、相手の立場に立って、
相手のために喜んでさせて頂くという気持ちで、
日々を過ごすことが、この世での暮らしではないでしょうか。
もはや、隠れるところのない時代に生きている私達には、
天に恥じない、広い道を堂々と進むことこそ、
日本人の本領が発揮できる道だと思います。
素晴しい日本人として、生を受けたことに感謝し、
素晴しい永遠の命を目指して、
全身全霊で魂を磨いていきたいという気持ちを持つことが
大事であるように思います。
(参照: 藤原大士 著作より)
秋分の日と前後3日間をあわせた7日間がお彼岸です。
春は春分の日を中心にします。
このお彼岸には深い意味があります。
お彼岸中は、あの世のご先祖様はもとより、
この世においても、私達自身が仏界まで行かれる機会を
与えて下さるという意味もあるのです。
あの世の階層は、神界、仏界、霊界、幽界、
餓鬼界・修羅界・畜生界、地獄界というように分かれています。
これは、この世の階層でもあるのです。
お彼岸は、
普段、お墓やお位牌に入る資格のない低いご先祖様も、
一族が皆、お墓にて供養を受けられる特別の配慮が
されている期間なのです。
「敬神崇祖」の思いで、
それぞれのお家筋のご先祖様のためにというお気持ちで、
充分にお供養をさせて頂きたいものと思います。
春分の日・秋分の日であるお彼岸の中日は、
人類の中心であられる歴代天皇様の御皇霊を
お祀り申し上げる「皇霊祭」の日になっています。
歴代の天皇様は、
崩御されますと、天の玉座に上がられます。
さらに、その奥では大宇宙の中心に繋がっておられます。
そして、皇霊祭の日、
御皇霊に遥拝(ようはい)をさせて頂きますと、
この天の扉が開き、玉座より御皇霊からの白光の光を
頂くことが出来るのです。
この光を頂いた後、お墓参りをいたしますと、
丁度灯明を灯したように、ご先祖の方も、
この白光の光を受け取ることが出来るのです。
他にも大事な意味がありますが、
少なくとも、午前九時までには遥拝をいたします。
歴代の天皇様を敬うことにより、その御光を頂けるのであって、
してやるという気持ちでは、意味をなしません。
「念と言霊」と言われますように、
どのような思いで行なうかということを見ておられます。
歴代の天皇様というのは、
この地球上の中心であられるお方であって、
そういうお役をされておられた訳です。
(参照:「魂との出会い」 藤原大士著)
すべてのものに中心があり、 その中心を巡ることによって物事は成り立っています。 大宇宙の中心から、 すべてが創り出され、巡らされていますから、
更に人の細胞核、物質の原子核に至るまで、
すべての生命の中心を貫いているのです。
自然の法則に反した生活を日々積み重ねている、
それが原因だと思われます。
現代人は、理屈ばかり言うのではなく、
大自然に合わせ、生命の源に通じながら、
日々を過ごさせて頂きたいものと思いますね。
(参照:「神から人類への啓示」 藤原大士著)
それぞれの家系を、縦軸で表せば、
神様に繋がる祖神(そしん)…先祖…祖父母、父母、本人、
子、孫、ひ孫…子孫と繋がって行きます。
縦の場合には、両側に次々と、甲家、乙家、丙家、丁家と、
人類すべての家系が並ぶことになります。
横の場合には、本人の時代が現代なら、
父母の時代、祖父母の時代から更に過去に遡って
それぞれの先祖の時代があり、
子、孫、ひ孫は、未来の世界になります。
しかも、これらの中心にあるのは、スメラミコトです。
現世の天皇家であられます。
「スメラミコト」というのは、「神様の言葉を伝えるミコトを統率すること」、
すなわち、統(スベル)ことです。
そのお家柄を大まかな系図で示しますと、次のようになります。
大宇宙創造神であられます
神漏岐大神様・神漏美大神様・・・
大宇宙大和神様・・・
天御中主神様・・・
天照大御神様・・・
邇邇岐命様(ににぎのみことさま)・・・
神武天皇様(じんむてんのうさま)・・・
(歴代天皇様)・・・平成天皇様となります。
大元の大宇宙創造の大神様の、霊統、血統を
正しく受け継がれておられますのが、
『最も古く、最も尊い家柄』であられます天皇家であられます。
天皇様は、この地球上に、ただお一人で、
地球のすべてを束ねられますお役目であられます。
神様の世界では、天皇様は、神様としての扱いであられ、
現人神(あらひとがみ)であられます。
私達も、中心に繋がっていないと、
この動乱の時代には、振り回されて、振り落とされ、
気がついた時には、自分の土俵が なくなってしまっているかもしれません。
一人一人が、中心につながり、内なる力を頂き、
天の意に添った日々を過ごさせて頂くことが
とても大事だと思われます。
大宇宙の創造神であられます大神様の神統符は、
神漏岐大神様・神漏美大神様から発しまして・・・
大宇宙大和神様・・・天御中主神様・・・
天照大御神様となります。
神々様にも、それぞれのお役割があられます。
神漏岐大神様(かむろぎのおおかみさま)・
神漏美大神様(かむろみのおおかみさま)は、
大宇宙すべての束ねをなさられます。
大神様・美の大神様は、常に御一体であられます。
大宇宙大和神様(おおとのちのかみさま)は、
大気圏担当の神様として、
大宇宙と地球との調和を保つことを司っておられます。
万一、大気圏が破れれば、一瞬にして
地球上の空気は大宇宙に流れ出てしまいますし、
地球上のあらゆる物は、その破れ目から
大宇宙へ放出されることになります。
人類にとって生命線である大気圏のご担当として、
常にご守護頂いています神様であられます。
天御中主神様(あめのみなかぬしのかみさま)は、
地球担当の神様であられますので、
これより地球大改革で、ますますご活躍頂きます神様であられます。
天照大御神様(あまてらすおおみかみさま)は、
日本担当の神様であられます。
ご皇室のご先祖の神様として、
また日本人の魂の故郷であります伊勢神宮に 坐します神様であられます。
森羅万象は、すべての原点である大宇宙創造神であられます
大神様の一点から出て、大神様の一点に還るのです。
いかに、中心に繋がるということが、大事なことかと言うことです。
私達人類は、常にこれらの神様に感謝の真を捧げさせて頂きたいと思
います。
(参照:「神から人類への啓示」 藤原大士著)
この世に生を受けた私達は、 天から使命と寿命という天命を頂いたことを真摯に受け取らなければ、 授かった命に申し訳ない思いがいたします。 いつの時代も、その時代のお役目を全うされた方々のお陰で、
結局
自分を鍛え、本質的な力を蓄えることが【 神訓(しんくん) 】
一、何事も喜びを以(もっ)て為せ
喜びのある所には実りも大きい
一、人の為にこそ行なえ
受け取りはすべて神自らぞ
一、己(おのれ)の徳を積め
陽徳もよし されど陰徳を以て尊しとなせ
一、父母(ちちはは)を敬え
孝養の心なくして人倫(じんりん)なし
神は人類の父母ぞ
一、夫婦は一対にて一人前と思え
互いに良き所を伸ばし合い、足らざる所を補い合え
しかる後、身・心・霊共に一体となれ
その上にて神とも一体となれ
「神訓」を声に出して言ったり、何人かで声を合わせて言ってみるのも、
よいことなのです。
内容を心に留め、下腹に力を込めて、読み上げて言っていますと、
段々と覚えていき、文を見ないで、諳んじて言うことができるようになります。
勿論、声に出して言うことも良いことですが、 内容を心底よく理解し、
日々実践することが一番大切なことになります。
(参照:「本当の幸せを求めて」 藤原大士著)
樹齢六千年の屋久杉が、テレビに映っていましたが、
六千年もの間、地球や人類の歩みをじっと見つめていたのでしょうか。
それだけ巨大な樹木を支え続けたものは、何でしょうか。
やはり、目には見えませんが、根の働きが大きいのではないでしょうか。
樹木の広がり以上に、根が大地に広がり、深く根づいているのでしょう。
幹、枝、葉がどれだけ立派に見えても、根が大地に深く根付いていなければ、早晩勢いをなくし、衰え、枯れていくことでしょう。
根無し草では、つかの間の生にしか過ぎません。
地上に見える樹形以上に、しっかり大地に根を張っている樹木は、
根から大地の恵みや栄養を吸収し、それを枝葉にも分け与えます。
枝葉はまた、太陽の光や大気からの恵みを受けて、それを幹に送ることによって、
一つの樹木として、日々、大いに成長していくのです。
幹には幹としての役目があり、枝葉には枝葉としての役目があるのです。
お互いに助け合うことによって、枝は栄え、葉も茂るのです。
そういう樹木であってこそ、見事な花を咲かせ、
次の世代へと実を実らせることも出来るのです。
大地の中にあって、目には見えませんが、根がいかに大切かということです。
この根こそ、神・仏に当たるのです。
樹木の根の部分には、神様が宿っておられるのです。
一般の人には、根の部分は見えないのですから、神・仏も目に見えません。
私達の身、心、霊も、すべて目に見えない神様、仏様、またご先祖様のご加護のもとに
生かされています。
目に見えなくても、生かされていますことに感謝の気持ちを持つことが、日々の生活の
基本になると思いますね。
(参照:「大福運を呼ぶ地鎮祭・上棟祭」 藤原大士著)
地球の天地創造から46億年を経た、現在の地球の状態は、
誰も今のままで良いとは思えないほどの危機的な状況にあります。
その地球をも含めた大宇宙の森羅万象すべてを創造なさられました 根源の大神様は、今、 その大元の大宇宙創造の大神様の霊統、血統を 『最も古く、最も尊い家柄』であられます天皇家であられます。
金糸梅の花
『大気も水も人の心も、汚れに汚れ、穢れに穢れたものを、
祓い清め、地上天国を造りなさん』と、
地球大改革をなさられておられます。
正しく受け継がれておられますのが、
天皇様は、この地球上に、ただお一人で、
地球のすべてを束ねられますお役目であられます。
ただ単に、血統のみを受け継がれたお方では、ダメなのです。
大神様より
『皇室なき地球は不要、皇室なき人類は不要』
のお伝えがございますように、
ご皇室は、地球・人類の中心であられます。
アインシュタインも、
「あらゆる国の歴史を抜き越えた、最も古く最も尊い家柄」
と予言しておられます。
大宇宙の真理である大神様の意を、
この地球にて行い、束ねる大元としての天皇様が、
本来の「スメラミコト」として、政(まつりごと)を統べられますことこそ、
地球・人類の中心としてのお役目であられるのです。
政の本質をよく見極めて、本来の形で執り行われない限り、
地球と人類に、本当の秩序と調和のある世界は
実現出来ないのではないでしょうか。
歴史が証明していますように、浅ましい餓鬼・修羅・畜生、地獄の如き、
欲得や権力欲、争いの世界が現実の姿です。
人智を越えたお計らいの中で、大自然の恵みを感謝のうちに頂かせて頂き、 自然と共に生かさせて頂くことが、
この世に生を受け、天命を授かった人としての
尊い意味があるのではないでしょうか。
(参照:「神から人類への啓示」 藤原大士著
神道は、宗教ではありません。
神道は、大自然、大宇宙から授かった命そのもののことであり、
永久不変の原理のことです。
大自然の法則、摂理、法理、すなわち「神理」、大自然そのものなの
です。
宗教は、その命のある今を、どう考え、どう生きたらよいのか
ということを、この世に生ある人が説いたものです。
ですから、時代と共に変化し、それぞれの時代に必要な宗教家が出て、
人々に説かれたのです。
宗教は、読んで字の如しで、「教えるのを宗とするもの」です。
教える人がいて、教える材料が必要です。
キリストが聖書を以て、マホメットがコーランを以て、お釈迦様が経典を
以て、教えられたのです。
現実にこの世に生を受けた人が、それぞれ教える材料・文字で書いたも
のを使って説かれたものです。
神道は、教える人もいませんし、教える材料もありません。
神主は、神様からのお伝えを受け取る人であり、
祝詞や感謝文を奏上いたしますが、これは教える材料ではありません。
日本人は、大自然と共に生き、大自然の恵みに感謝し、
美しい四季の巡りの中で、人々が和を尊び、思いやりながら
日々を過ごしてきたのです。
大自然の真理に添った生き方そのものが、神道としての「随神(かんながら)の道」となっていたのです。
(参照:「混迷する世の中をどう生きるか」 藤原 大士著)
いつの世も、人は心の奥底では、何かを信じたい、真実を探求したいという思いに駆られています。
特に現在のような混迷する世の中では、
将来がどうなってしまうのだろうかという不安を抱えている人も多いと思います。
時代の転換期には、新興宗教等が数多く現れ、信者と言われる人も拡大していきます。
中には、いかがわしいカルトのようなものもあり、
真実を求める、心ある人ほど、神仏不信になってしまいます。
昔から、世界中ではいろんな宗教が信じられてきています。
世界の歴史は、宗教戦争の歴史と言っていいほど、
宗教間の他宗教を排斥、攻撃する戦いの歴史でもあります。
どんなに素晴しい経典であっても、争いを生じると言うことは、
一神教を標榜している宗教の限界が現れています。
仏教の経典、キリスト教の聖書、イスラム教のコーラン
等は、教祖といわれる人が教えたものです。
この世に生きていた人が説かれた教えには、
すべての真実が正しく伝わっているわけではないと思われます。
今までの争いの歴史が、それを証明しています。
日本には、氏神様と言われますように、
それぞれのお家筋にご縁のある神様がおられ、
今住んでいる所の神社(産土神社)の神様にご縁がありますし、
お仕事をされている地域の神社の神様ともご縁があります。
また、大自然のすべてに、神様はいらっしゃいます。
外国人と違って、日本人の心の奥底には、
自然の中に神様を感ずる感性があり、命の源に通ずるものを持っています。
今こそ、
人が言うことを仰ぐ「信仰」から、神様を仰ぐ「神仰」へ切り替えて、
心の奥底から神様を感じ、力強く生かさせて頂きたいものと思いますね。
(参照:「混迷する世の中をどう生きるか」 藤原大士著)
お釈迦様のお役目は三千年の間、 「真如(しんにょ)の教え」を説くことにありました。 それは、ある事情により 「太陽と月の世界」から、「月を主とする世界」になった時でした。
月の世を司る月の光は淡く、慈悲の世界でもあります。
「真如の教え」とは、「真実の教え」ではなく、「真実の如き教え」でした。
お釈迦様は、「真実の世界」、「真実の教え」は、勿論ご存知でしたが、
三千年間のお役目として、真実を明かすことが出来ず、
影の如く「真如の教え」を教えられました。
ですから、仏教は「真如の教え」であり、
「慈悲の教え」であり、「月の教え」でもあるのです。
では、「真実の教え」は、どこに存在するのでしょうか。
そして、お釈迦様は、
「われ入滅後、三千年にして、東方の在家より、真実を伝える者が
現れる」と伝えられたのです。
お釈迦様のこのお伝えにあります
「真実を伝える者」は、現在、日本にて既にお役目をなさられています。
大宇宙創造の大神様より、直接お伝えを受け取られて、
それを人類にお知らせ頂いております。
また、現在は大神様と共にあられ、その大事なお役目をなさられ、
これからも地球・人類のために、ご活躍頂きます尊いお方であられま
す。
(参照:「神から人類への啓示」 藤原大士著)
人生の修行とは、何でしょうか。
お釈迦様も、「難行苦行は修行に非ず」と言われましたように、
私達には日々の生活があり、専門家のように特別の修行のための時間を取るということは出来かねます。
それではどういうふうにしたら良いのでしょうか。
日々の暮らしの中で、「清明正直に過ごせば良い」のです。
日々、清く、明るく、正しい想念(気持ち)で真素直に過ごすことが、
人としての修行になるのです。
その中でも、真素直が一番大切だと言われています。
言葉として、簡単に「清明正直(せいめいせいちょく)」と言えますが、
実践することは簡単ではないように思います。
誰でも体調の良い時ばかりではありませんし、相手の態度にも反応しますし、何時でも平静に清明正直の想いで過ごすことは難しい面もあるかと思います。
しかし、自分としては清明正直の想いで日々を過ごしたいという気持ちを強く持つことに意味があるのではないかと思いますね。
(参照:藤原大士著作より)
子供が、親の言うことを少しも聞かないと、困っている親御さんは多いように思います。
人は、この世に遣わされる時、神様の御霊を分けて頂いて生れてきます。
これを分け御霊(わけみたま)・分霊と申します。
それで、神様と人とは、親子と言われています。
ですから、人類は、皆、神の子と言われているのです。
神様は、私達を生み、はぐくんで育てて下さいました、
人類にとっての共通の親に当たるわけです。
その親である神様に、私達は
どれだけのご恩を返し、親孝行をしているでしょうか。
人が人として尊いのは、神の子としてです。
子が、その親であられます神様を疎んじ、無礼の数々をしてきていることは、
そっくり現在の人の世に、現象として現れてきています。
子供として、自分の父母に対して、
どれだけの敬愛の情を持って接しているでしょうか。
どれだけの孝養を尽くしているでしょうか。
神様をないがしろにしていると同じように、
自分の父母に対してもないがしろにしていないでしょうか。
すべては、写し鏡の如くに、現世(うつしよ)に現れています。
神様のお伝えを聞こうとしない親御さんと、
親の言うことを聞こうとしない子供の関係にも
当てはまることですね。
(参照:「神から人類への啓示」 藤原大士著)
戦後の占領政策の言論統制により、 「魂」「神道」「神様」「教育勅語」等の言葉が、 タブーになっていました。 現在、「霊魂」、「神様」などと言うと、 オカルトではないかと誤解されそうな雰囲気もあります。
日本は、ムー大陸にも繋がる、 世界で一番歴史の古い国なのです。
お米は、天孫降臨に際しまして、天照大御神様より、
『斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅』として、 邇邇岐命様に下賜されたものです。
瑞穂の国、日本は、農業が基本にあるべきなのです。
また、日本の伝統行事・風習等も、
既に神代の時代に起源があることが 文献に残されています。
「古事記」の神代七代の中の三代目の「宇比地邇神様・須比智邇神様」が、
初めて結婚式の儀式を定められましたのを契機に、
神々様もそれに習われ、人々にも教えられたのです。
三月三日に、女の子の桃の節句として、 雛人形を飾り、白酒を酌み交わします。
この結婚の儀式にて三々九度を酌み交わすのを、
毎年、真似事をするのが、「雛祭」の起源なのです。
男の子の「端午の節句」もまた、男の子の成長を祝う行事なのです。
日本独自の古来の伝統、行事には、大きな意味が秘められていますので、 大事に行いたいものと思います。
外国のものはすべてよくて、日本のものは古臭いというレッテルが貼られて、
大自然の真理に添った、古代からの素晴しい知恵が隠されています。
「温故知新(おんこちしん)」・
故(ふる)きを温(たず)ねて、新しきを知る心で、蘇らせたいですね。
(参照:「神から人類への啓示」 藤原大士著)
本来、日本人は古より、御皇室を尊崇してきた民族です。
御皇室を尊崇できるか、どうか などと特別考えたこともないのが日本人です。
日本人なら当然、御皇室を敬ってきたのです。 先祖代々、自然に備わっているものです。
大宇宙の大元の最高の神様であられます大神様より、 次のようなお伝えがあります。
『皇室なき地球は不要、皇室なき人類は不要』 地球、人類が存続するためには、 ご皇室こそ要(かなめ)であるということであります。 大宇宙の根源の大神様が伝えておられるということを 肝に銘じなければいけませんね。 私達には、奥に秘められた真実は、うかがい知ることは出来ないのですから。 また、 『人の世において、いかに名声を得、活動しようとも、 われが委ねし者とその一族の者を悪しざまに申す者など、 心得違いを正さぬ限り、無用の者ぞ』 とお伝えがあります。
人智を超えた大いなるもののお計りの中に、 生かされていることに感謝することが大事だと思います。 本当は、生かさせて頂いているというのが、正しいのではないでしょうか。
人の頭でいろいろ考えて、あれこれ言うのは慎むように、心したいものと思います。
ご皇室の秘められた長い歴史は、 これからいろいろと解き明かされてくるのではないでしょうか。
必要な時が来れば。
(参照:藤原大士著作より)
皇室のない、地球(ちだま)や人類は不要ということは、
人は、神様からこの世での使命を授かり、
人の世に送り出されたのですから、
神様から託された使命を全うすることこそ、
大事なことになります。
それぞれ使命を与えられた人の中には、
人の上に立つような大きな役目を与えられる人もあり、
またある範囲の中で小さな役目を与えられる人もあります。
大きい役目だから立派で、
小さい役目だから駄目ということではなく、
その役目を全うするかどうかが大事なのです。
新幹線を例に取れば、
小さなネジ釘一本が緩んだり、なくなっても
大事故につながる危険があり、
小さなネジ釘一本でも、
新幹線を正常に動かすためには
大事な役目をしているのです。
人の世では尚更のこと、
役目の大小にかかわらず、
一人一人が、自分の役目を果たすことが、
大きな意味を持っているのです。
それぞれが与えられた役目を
精一杯させて頂くということが、
世の中を正しく巡らせる元になると思いますね。
(参照:藤原大士著作より)
人は、「天命」として与えられた
「使命」と「寿命」を全うするために、
この世に生を受けるのです。
ですから、
自分に与えられた使命に添った日々を
過ごしているか、どうか、
見直ししながら生きて行くことが大事になります。
『政(まつりごと)』に書きましたように、
神社にお参りに出かけ、
御祭神と私達の御霊の、間釣り合わせをして頂き、
本来の御霊に整えて頂き、
大自然の本来の流れの中で御恵みを頂き、
日々の務めをさせて頂くことは、
使命を全うするには、大きな意味があるのです。
皆が総理大臣になりたい、お医者さんになりたい、
弁護士になりたいと思ったら、
世の中が成り立たないのではないでしょか。
農業は国の基本ですから、
農業、水産業等の仕事をする人も必要ですし、
将来を担う子供達の教育も大事ですから、
先生も必要ですし、
スポーツが得意な人、芸術の才能のある人等、
それぞれ今の世の中に必要な仕事をする人は、
皆、大事な役目を担っておられます。
人の世では、
誰一人として、必要でない人はいないのです。
世の中すべてを明るくするものです。
日本から出発した文明が、地球を一回りして、
日本に戻ってきているのです。
エジプト文明、メソポタミヤ文明、インダス文明、
黄河文明などと言われるのは、
丁度文字が出来てくる時代で、
文献が残っているので分かるのです。
しかし、
日本には神代文字で書かれた古史古伝が残っています。
日本の文明は、世界の四大文明と言われるものより、
さらに古く、世界の文明の発祥の地なのです。
学者の方々の中には、
何でも中国方面から伝来したなどという論文を発表されますが、
肝心の日本の古文献を謙虚に研究されると
良いのではないかと思いますね。
(参照:「神から人類への啓示」 藤原大士著)
日本の国旗である「日の丸」には、
大事な意味が秘められています。
日の丸は、大宇宙のすべて、神様のすべてが
織り込まれており、
日本はもとより、人類のみんなが大事にすべき尊いもの
なのです。
日の丸には、春・夏・秋・冬の季節の巡りや、
人類を構成しています五色人(いついろびと)の関連等、
大宇宙のすべてのことが表されています。
人類は、青人、赤人、黄人、白人、黒人の
五色人(いついろびと)で構成されていて、
歴史のある幣立神宮には、
五色面というのが残っています。
オリンピックで、日本人が金メダルを受賞した時、
日の丸が真ん中に高く掲げられるのを見るのは、
とても嬉しい感じがするものです。
オリンピックの輪は、
人類が仲良く世界平和を希求すること
を表していると言われます。
青、黄、黒、緑、赤の輪でつながっていますが、
黄が中心に来るのが本来の姿なのです。
日の丸・君が代について、いろいろ言う人がいますが、
はっきり申しまして、
国旗・国歌が気に入らないのなら、
なぜ日本を去らないのでしょうか。
日本に居座ることはないのではないでしょうか。
もっと気に入った国にでも住んだ方が、
ご自分も落ち着くのではないでしょうか。
自分の国の国旗・国歌に異論のある方は、
もう一度、よーくご自分の心の中、魂を訪ねられると、
答が出るのではないかとも思えます。
日の丸・君が代を、どうだこうだと言うような人は、
日本人の魂を持っているとは思えません。
日本人の心、魂をお持ちの方は、
日の丸・君が代に誇りを持ち、
有難く感じることが出来るのです。
それは当然のこととして、
代々受け継いでいるものがあるからです。
これは理屈を超えたものです。
日本人なら、
日の丸・君が代に誇りと自信を持ち、
日本人としての役目を果たすべく、
自らの知恵、力を身につけ、
日本人の心や魂を蘇らせるように、
魂を磨くことを自覚することこそ、
今、促されているのではないかと思いますね。
(参照:藤原大士著作より)
前年実った種籾を潤いをもって保存し、春に種を蒔き、
田植えをし、水の管理や草取りなどの作業を通じて、
秋に実りの稲米を収穫いたします。
水不足や、台風の襲来、じりじりと熱暑の日の草取り等、
一年を通じてのお百姓さんの農作業が
八十八の行程があるから、
米の字は八十八と書くのだとも言われています。
太陽と水と大地と季節の恵みと、
人々の惜しまぬ作業により、
日本人の主食のお米は作られています。
本来、米という字は、四方八方になっていて、
神様が光や御恵みを放って下さっているのです。
わが国は、「瑞穂の国」ですし、
御神前にお供えしますお米も中心です。
『わが瑞穂の国の稲米には、
一粒一粒に神の御霊込め入れてあるのを忘るるな』
という大神様からのお伝えがあります。
それは、日本人には、
神様からのお伝え事を世界の人に知らせる役目
があるからです。
ただ食する物としてのみ見るならば、
どこの国の稲米も同じに見えるようでも、
人それぞれの役目に応じて食する物も異なるのです。
日本人なら、
神様の御霊の込め入れられました日本のお米を
頂かせて頂きたいものと思いますね。
(参照:藤原大士著作より)
人は、本質的に「人のために尽くす喜び」を持っています。
「食」という字は、「人を良くする」と書きます。
人を良くするために食べるのです。
その食事をすることによって、
「人のために、世の中のために働きますよ」という人が、
食事をすればいいのです。
ですから、意味から言っても、
悪いことをしようという人は、食べる必要がない
ということになるのでしょうか。
食事を頂く時の挨拶も、
「いただきます」
「ごちそうさまでした」
「ありがとうございました」
と、感謝の気持ちで、声に出して言うこと自体が、
大切なことなのです。
食事を頂いた以上は、
「人を良くするために、自分は活躍いたしますよ」
ということを意味すると同時に、
神様からの恵みのものを頂かせて頂くことに、
心から感謝を申し上げるべきなのです。
「あの世の図」にもありましたように、
幽界から上は神様の支えの上にありますということは、
感謝の心のある人は、
神様の支えがありますよということでもあるのです。
詳しくは申し上げませんが、
感謝の気持ちを込めて行うことには、
大きな恵みを受けることになりますので、
素直な心で実践されると良いと思いますね。
茗荷(みょうが)の花
お釈迦様は、
苦行林での六年間の修行では、肉体も心も
ギリギリの限界のところまで追い込まれましたが、
悟りを開くことが出来ませんでした。
そこで、最大の勇気をもって難行苦行を放棄し、
川で身を清めた後、大樹の下で煩悩を払い、
心静かにしてゆったりと過ごされた時、
大自然に溶け込み自然と一体になられ、
悟りの境地に達することが出来たと言われています。
難行苦行をしている時には得られなかったけれども、
自然の中で心のゆとりをもって過ごすことにより、
悟りを開かれたということは、
日々の生活の中に、
悟りを得られるようになっている
ということでもあるのでしょうね。
私達は、神様によく「祈願」をいたします。
病気平癒等の健康問題、家内安全、合格祈願、
安産祈願、厄除け祈願、開運等のご祈願をさせて頂きます。
願い事は、まず自分自身のこと、家族のこと、
親類縁者のこと、また知人・友人と親しき人へと広がり、
それが地方の人すべて、国民のすべて、
世界人類のすべてに及び、
平和と健康と幸福を願うのもいいでしょう。
担当の神様から願いを叶えて頂きましたら、
すぐ厚く御礼を申し上げます。
本来ならば、お玉串、御食(みけ)、御酒(みき)を
ご奉納するのが正道です。
少なくとも、人の心を持つ人なら、
感謝の気持ちを忘れてはなりません。
祈願と言っても、ほとんどの場合、願い事で、
祈りの人はなかなかいません。
「祈り」とは、「意乗り(いのり)」のことで、
神様の意に乗ることなのです。
願い事は願い事でいいのですが、
更に、祈りにまで達すると良いと思いますね。
(参照:「神から人類への啓示」 藤原大士著)
「あの世の図」にあります、神界へ入るためには、
「悟り」が必要になります。
では、「悟り」とは、どのようなことを言うのでしょうか。
「悟り(さとり)」とは、「差取り(さとり)」のことです。
差を取るということです。
では、何との差を取るのでしょうか。
大自然と自分との差を取り、大自然と一体になることです。
神々様は、大自然の中におられますので、
大自然とは、神様そのものであられます。
喜びをもって、ゆったりとした心、ゆとりをもって合わせれば、
その波長が一体となることが出来るのです。
人も大自然より生まれ出たものなのですから、
大自然と一体になることは、無理なことではないのですね。
(参照:「魂との出会い」 藤原大士著)
一人静(ひとりしずか)
この世の私達が、先祖から引き継ぐのは、
家や土地、株や宝石、金銭など、遺産相続した、
目に見える財産だけではありません。
「父」とは、
先祖からの「霊(ち)」と「血(ち)」を受け継ぎ、
子孫に伝える人のことです。
精神的なものと肉体的なものの両方を
先祖より受け継いで、子孫に伝えるのです。
ですから、物の見方考え方も、
またその顔立ちや歩き方に至るまで似ているのです。
このようにして、子々孫々に伝わり、
家系と言うものが続くのです。
人は、自分一人で生まれてくるのでもなければ、
自分一人のものでもありません。
すべて、
先祖からの、こうした霊と血を受け継ぐと同時に、
自分一人のところで、勝手に止めてもいけないものです。
その流れは、次々と、子孫に繋いでいくのです。
それも、弥栄えの役目の一つなのですね。
(参照:「魂との出会い」 藤原大士著)
木蓮(もくれん)
この世とあの世は、写し鏡になっています。
ですから、「写し世=現世(うつしよ)」と言います。
あの世のことはよく分からないと思われましても、
この世の有様をじっと見ていれば、
ある程度分かるのではないでしょうか。
現在の世の中が、
神様や仏様のようにすばらしい方々ばかりであれば、
やはりあの世の方々もそういう感じがあるでしょう。
今、世界のニュースを見聞しても、
自分達の周りのことを考えても、
とても気持ちの良い世の中のようには
見えないのではないでしょうか。
恐ろしいほどの欲得、事件、争い、不信などの
悪徳の世界が幅をきかせ、
金さえあれば何でも出来るというような
餓鬼の浅ましさが見られます。
やはり、あの世の修羅・餓鬼・畜生、地獄の世界
からの影響も大きいのではないかと考えられます。
残念ながら、
あの世では苦しんでおられる方が多いのでしょうか。
このことは、他人事ではなく、
明日はわが身であると思えば、
この世での過ごし方がいかに大事か
と言うことだと思われますね。
(参照:「魂との出会い」 藤原大士著)
木斛(もっこく)
霊魂は永遠に不滅なのです。
ですから、旅立った後の次の世において、
どの界から出発するかということは、
とても大事なことになります。
あの世での、その後の修行にも
計り知れないほどの影響があるのです。
生あるうちに、あの世のどの界に入るのかを考えて、
日々を過ごすことが大事になります。
現代社会は、
「金さえあればいい」、「自分さえよければいい」
という風潮に蝕まれている人が多く、
世相が乱れ、世の中が混迷しています。
目標を失い、唯物的な快楽に陥り、
安易な暮らし方をすることは、
自分自身を見失うことにつながり、
自らの力を貶めることになるのです。
自分の生き方は、
自分で責任を持つという、強い意志を持ち、
前向きに進んでほしいものです。
そうすることが、
自らの力を蓄えることにも繋がると思います。
自分の人生は自らの力で切り開いていくという気持ちで、
日々を過ごして頂きたいものと思いますね。
「あの世の図・この世の図」の階層について
神界……悟り・一点の汚れもなし
仏界……慈悲の心
霊界……天命を知る
幽界……感謝の心
――――――――――
餓鬼界……物・色・名誉欲
修羅界……いつも諍い・争い
畜生界……感謝の心がない
地獄界……人としてあるまじき行為
人の道を外れた行動
感謝の心を持っている人の世界である幽界から上は、
神様の支えの上にあります。
しかし、
その下からの餓鬼界・修羅界・畜生界、地獄界は、
支えがないのです。
残念ながら、現在は七割以上の方々が、
支えのない所におられるのです。
旅立った後、
「こんなはずではなかったのに。
人並みにしていたのに」
と言われる方が多いそうですが、
現在、人の世の精神的レベルが低くなっていますので、
人並みでは平均がひどく低い所にあるのです。
神様の支えにある方は
三割もいないと言われていますので、
これからもっと全体でレベルを上げていくように、
皆が努めたいものと思いますね。
(参照:「魂との出会い」 藤原大士著)
あの世の階層・霊界の世界は、
次の図のようになっています。
これはこの世の図でもあります。
神 界 (悟り・一点の汚れもなし) | ||
仏 界 (慈悲の心) | ||
霊 界 (天命を知る) | ||
幽 界 (感謝の心) | ||
畜生界 (感謝の心が ない) | 餓鬼界 (物・色・名誉欲) | 修羅界 (いつも諍い・争い) |
地 獄 界 (人としてあるまじき行為・人の道を外れた行動 | ||
【 あの世の図 ・ この世の図 】 | ||
この図は、あの世の図になっていますが、
この世の図でもあるのです。
今、現在のご自分の立場が、
現世(うつしよ)にいながら、
どの界に相当するのかも分かってきます。
(参照:「魂との出会い」 藤原大士著)
あの世とこの世の違いは、
簡単に言えば、大きく二つあります。
一つは、
この世からはあの世は見えませんが、
あの世からはこの世が見えます。
二つ目は、
この世は、神様・仏様のような人から
地獄の住人のような人まで、一緒に生活しています。
あの世では、それぞれの界に、
同じような階層の人だけで過ごします。
それぞれの階層は、
それぞれ同じ想念の人ばかりですから、
高い階層の人は、気持ちよく過ごすことが出来ます。
しかし、低い階層に居ると、
たとえ自分の置かれている立場を反省し、
向上しようと思っても、
周囲が低い想念の人たちばかりですから、
残念ながらなかなか抜け駆けを許さないのです。
このようなことがありますので、
ご先祖さまのお供養は、
子孫として、とても大切な事になるのです。
この世の子孫の方々は、
お盆のお供養を
心を込めてさせて頂きたいものと思いますね。
(参照:「魂との出会い」 藤原大士著)
現在、人の死について、
脳死とか、いろいろと言われていますが、
死とは、どういうことを意味するのでしょうか。
「息を引き取る」と言われますように、
息をスーッと吸い込んで止まってしまい、
呼吸が出来なくなってしまうことです。
対照的に、赤ちゃんは、
「オギャー」と息を吐いて誕生し、
その産声を聞いて、皆安心するのです。
人は、目に見える肉体だけでなく、
目に見えない幽体、霊体で出来ています。
人の本体は、霊魂(れいこん)・御霊(みたま)であり、
霊体と呼びます。
その霊体を包んでいるのが幽体で、
透き通るほどの薄い白いものです。
この世に生を受けて、
霊体と幽体が、肉体に宿るのです。
この世で過ごすための器・乗り物としての肉体を、
神様より拝借しています。
旅立つ時には、神様にお返しいたしますので、
お借りしたままのきれいな肉体をお返しするために、
身体を傷つけてはいけないのです。
この世での役目を終えますと、
肉体は土に戻しますが、
幽体・霊体は故郷に帰ります。
本来、人は神様の世界から
この世に遣わして頂いたのですから、
直ちに故郷である神様の世界に帰るべきなのです。
しかし、この世での魂の磨きが
なかなか進みませんので、
この世での魂の階層と同じ、
あの世の階層に戻ることになります。
いわゆる神界から地獄までの階層の中で、
自分の魂にぴったりの階層に行きます。
あの世では、皆、
それぞれの魂に相応しい界に住み、
少しでも高い所を目指して、
永遠の修行を続けることになります。
ですから、
この世の窮極の目的は「霊魂浄化」
であると言われていますね。
(参照:「魂との出会い」 藤原大士著)
招霊(おがたま)の花
長崎に原爆が落とされました。
広島のウラン原爆に続き、
長崎はプルトニウム原爆の投下で、
一瞬のうちに多くの方々が
お亡くなりになられました。
犠牲になられました方々の
御慰霊を申し上げさせて頂きたいと思います。
御霊の安かならんことを。
漸く梅雨も明け、暑さも厳しくなっておりますが、
節気はもう秋になりました。
豪雨が続いた頃に、
夜中に激しい音を立てて、止むこともなく降り続き、
家の前の坂道を川の如く流れ行き、
時には閃光が走り、雷鳴がとどろき、
寝ていても、
とても不安な時間を過ごしたことがありました。
その時、
屋根の下に住まうということの有難さを感じました。
家屋がしっかり守ってくださっている
という感謝の気持ちが湧きあがり、
改めて日々の御守護を思いました。
日本の家屋は、
「地鎮祭」をし、「上棟祭」を行いますが、
それぞれの土地の神様や建物の神様に、
その土地や建物を守って頂くために行うのです。
「地鎮祭」は、自分の土地の仕切りをして、
その範囲を守って頂くように行うのです。
「上棟祭」は、家の中の大黒柱に神様をお呼びして、
家の中の空間を守って頂くための儀式なのです。
本来、柱木は、生えている時の先端の部分を下にし、
根の部分を上にするのです。
家屋の根ですから、「屋根」と言うのです。
目に見えない根は、
大地の中にあって、神・仏に当たるのです。
家は、単なる空間ではなく、
英知を出し、疲れを癒し、安らぎをもたらし、
憩いの場として、人生にとって大切な空間を
提供してくれる場所なのです。
神道は、
常に『弥栄え』ということを前提にしております。
人々が栄え、社会が栄え、国が栄えるというように、
すべて良い方向へと考えていくのです。
土地や家も、そこで暮らすことによって、
問題なく、健康と幸福と繁栄をもたらすもので
あって欲しいものです。
そのためには、単なる行事やしきたりとしてではなく、
正しい地鎮祭や上棟祭を執り行って
頂きたいものと思いますね。
(参照:「大福運を呼ぶ地鎮祭・上棟祭」 藤原大士著)
8月7日は、「立秋」です。
まだまだ真夏の暑さの真ん中にいるように思いますが、
暦の上では、もう秋になります。
夏が終わり、秋が始まるということは、
「夏の神様」にお礼を申し上げ、
「秋の神様」をお迎えするということです。
日本は、四季がはっきりしていますので、
春・夏・秋・冬の季節の巡りが
あらゆる行事等の元になっています。
「立春」・「立夏」・「立秋」・「立冬」の日には、
それぞれ、待ちわびた春や夏、秋、冬が
到来した日として、季節の区切りとして、
大切な日になっています。
中でも、「立春」は、神様のお正月
と言われておりますので、
「立春祭」を大事に執り行います。
まだまだ暑い夏を感じさせる頃に、
「立秋」が訪れるということは、
一ヵ月後位に、秋を感じるようになりますよ
という前触れのような意味合いもあるようです。
そのつもりになって、準備を始めるには、
いいけじめの日となります。
「春」に種を蒔いたものが、
「夏」の日照で豊かに成長し、
「秋」の実りをもたらしてくれるのですから、
「秋」は豊かな収穫の季節でもあります。
「冬」はその実りのものを干からびさせないように
瑞々しく蓄えて、春の種蒔きに備えます。
実りという恵みを授かるということは、
人がその時期、時期に出来るだけの努力をして、
慈しんで育てた結果であるとも言えます。
何よりも、太陽や風、水や大地などの
大自然の恩恵のお陰があればこそ、
人はその御恵みを頂くことが出来るのであり、
どれほど感謝してもしすぎるということはありません。
最近のように豪雨が続き、日照時間も少なくなったり、
水不足になったり、風の流れが乱れたり、
大地が崩れたりしたら、もう少しで収穫という時でも、
豊かな実りは手に入りません。
食料の自給が言われていますが、
人がどんなに努力したように見えても、
大自然の力の前には、
何もできるものではありません。
山や谷、野や畑、河川や海を汚したり
破壊したりしないようにすることや、
自分の家の周りを汚さないように、
清潔な暮らしを心掛けることも、
一人ひとりの気持ち一つで、
大きく環境を守ることにも繋がっていくと思います。
一つのゴミが、
風で吹き飛んでいって川に落ちて、他のゴミと一緒に、
川から海に流れ込んで行き、海底に溜まり、
魚貝類や海草等の生き物の環境を破壊してしまえば、
結局、自分達の生活を追い詰めていくことに
なるのではないでしょうか。
自分一人くらいの行為なんか、
大勢には影響なんかしない、
とみんなが思えば、大きなダメージになります。
一人こそ、大事なのです。
一人の力は、自分が思っているより、
とても大きいものなのです。
まず一人一人が、
自分の力をつけることが大事になります。
自然の摂理の中に、私達は、
生かさせて頂いているということを肝に銘じて、
自分で出来る暮らしの知恵を
心掛けたいものと思いますね。
| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
|---|---|---|---|---|---|---|
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